[一水四見⑴] 中国は仮想敵国なのか?<村石恵照>

2017.6.25一水四見:村石恵照東論西遊

中国は仮想敵国なのか? 

2015年7月14日  寄稿:村石恵照

わたし自身は、親「米」であり親「台」であり、しかも親「中」である。
このことについて、まったく矛盾を感じていない。
ここで、米、台、中とは、それぞれの国民のことであり、それぞれの政府や政府高官のことではない。
外国の政府やその要人、彼らの政策については、批判的なこともあり、反対することも嫌うこともあるだろう。

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中国は世界で嫌われている、
中国とは決別せよ、
南シナ海における中国の暴挙、
日本は尖閣のみならず、沖縄を中国に掠め取られる可能性、
中国人は日本の水資源をねらっている、
中国のスパイが、様々な分野で日本社会に侵入している・・・・
このような意味合いの中国脅威論が、インターネットや出版物で頻出している。
その反面、日本文化のすばらしさを説明している本も売れるようである。

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中国脅威論は、2013年の時点で、GNPにおいて世界の第二の大国として世界に認知されてから、メディアに拡散していったといわれる。
韓国は中国のような大国ではないから、反/嫌韓論があって韓国脅威論はないようだが、反/嫌中感情にもとづいて中国脅威論がでてくるからやっかいだ。
中国を擁護するような人は、柔らかくいえば親中派といわれ、嫌みを込めて言う場合は媚中派といわれ、ネット上では、時に売国奴と罵られる。
当然のことながら、国論と民情と知識人たちのなかで、反/嫌中国論と親/媚中国論が対立している状況は非生産的かつ反国益的である。

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他国を非難する本を買うというのは、どういう心理状況の人か、と時々考える。
そのような読書によって、どのような知識が得られ、どのような心理的満足が得られるのだろうか。
このことは、嫌中、反中本を執筆する著者についても、同様である。
もちろん、日本人から、ましてや外国人からいわれのない”誹謗、中傷、批判、誤解”を喧伝されて反論するのは当然だというのが、そのような本の執筆者の立場だろう。
執筆者は、自著を出して、しかも多くの部数を売りたいだろうから、編集者に主導されたタイトルの下で、読者が飛びつき易い内容の本を書かされることになるのも当然である。
特に出版不況がいわれてから久しい出版社としては、購買欲を刺激する本を作らなければならない。

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「中国経済の崩壊論を10年前から上梓し、売れるので何回も改訂してきたが、なかなか崩壊しないので困っている。どうして崩壊しないのか」と、ある評論家から尋ねられ、評者の方が当惑したことがある。
この評論家はこの10年あまり、中国に行ったことがないという。
知人の月刊誌編集者は「読者の多くは中国の急成長ぶりに脅威を抱き、中国のマイナス情報を求めているので、勢いアラ探し的な記事が多くなる」と釈明した。
ある週刊誌の編集幹部も「中国の悪い話を大げさに書くと、確実に部数がはける」と打ち明ける。
出版・新聞不況の中で「嫌中」「嫌韓」論は「貴重な金鉱脈」として期待されているらしい「見たくないニュースに目をつぶり、心地よいニュースに飛びつく…。現実を直視せず、偏狭かつ恣意的な情報選択を繰り返して道を間違えた戦前の轍を踏んではならない。八牧浩行」(Record Japan;2015年5月5日)
このような指摘自体も、Record Japanは中国寄りのサイトだから眉唾物だと、反/嫌中論者はいうかもしれない。
中国について批判的論じる評論家であれば、中国関係の専門の様々な学会に参加して、客観的事実を学び討論すべきであろうと思うが、中国関係の学会は親中学会とみなされているのかもしれない。
学会においては、好き嫌いにもとづく判断は問題外であり、客観的事実にもとづいて、キチンと論証すれば、意見の違う人でも同意せざるをえない。

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昨年、渋谷の小さな映画館や大学の教室で、中国の映画を15本ほど見た。
すべて中国社会の暗部を描いたドキュメンタリーまたはセミ・ドキュメンタリーの作品である。
売春婦、死体売買人、占い師、精神病院、汚職警官、男娼、天安門事件などなどの生々しくもどぎついテーマと映像の映画群だ。
しかし、「中国」が嫌いになったわけではないし、むしろ中国に益々興味が湧いてきた。
だからといって、「中国」全体が好きになったわけでもない。
そして全面的に中国人が嫌いになったわけでもない。
中国人の生き様をとおして、現代の日本人からは得られない、人間にたいする「いとおしさ」をさらに深く覚えるようになったというのが私の個人的感想である。

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日本において反/嫌中論の感情は、どうして生まれるのか。
一応の理由を思いつくままに以下のように考えてみた。
1 反/嫌中をとなえる知識人、評論家たちの出版物やインターネットによる影響
2 反/親を問わず、国内的内向き思考の知識人の影響
3 特に戦後の知識人たちの東洋や中国に対する関心の希薄さ
4 欧米文化に対する劣等感
5 日本の伝統の歴史的意味についてび理解の不足
6 思考における、細部の事実の一般化ーー一部の個人の欠点を国民一般と見做す傾向
7 マッカーサー支配による洗脳の潜在意識
8  生活に目的感のない人が漠然と攻撃対象を与えられて充足感を覚える感情
9 「人を嫌う」ということの消極的生き方についての宗教的自省心の欠如
そして、以上の1~9のそれぞれに程度の違いをもって関係しているが、戦後、特に欧米の国からの不当な日本(文化)批判に対して、論理的かつ実証的に積極的反論をしてこなかった知識人、評論家たちの問題があると思う。
基本的には、戦後の大学知識人に責任がある、と見立てている。
なぜなら、反/嫌中評論家も、政治家も、防衛とか軍事とかを公平に論じること自体を拒否する一般の風潮も、大学教育で育てられているからである。
深刻な問題は、反/嫌中論の感情は脅威論に発展し、脅威論は国防論、安全保障の問題に連動して、国論を分断していることである。

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現在、中華人民共和国(中国)は共産主義体制の下、方言はあるものの中国語という同一の言語を話す13億以上の人口をもち、 GDPは世界第二位 (2012) である。
6月29日にはAIIB (アジアインフラ投資銀行)が設立された。
創設メンバー国は日・米を除いて57カ国に達している(2015年4月15日)。
7月8日から10日には、ロシアのウファ (Ufa) で、上海強力機構(SCO; 中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの6カ国による国家連合;公用語は中国語とロシア語)とBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ;人口30億人弱)の首脳会議が同時に開催された。
2016年のG20は中国で開催されるが、ここで上海協力機構、BRICS、AIIB、一帯一路構想などについてさらなる具体策が語られると、一部の専門家はみている。

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中国は仮想敵国か?
反/嫌中論者は、もちろん、そうだというだろう。
仮想どころか実際の敵国と言いたい人もいるだろう。
自衛隊は、もちろん国政の中枢からの指令のもとに行動しなければならないから、大震災の場合は自然災害が対処解決すべき「自然的敵性状況」であり、国際政治の場合は、最後の外交手段として一応の仮想敵国が「人的敵性状況」として想定されているのは当然である。
緊急事態の場合は、結果として仮想敵国が一時的にでも事実上の敵国となる場合もあるだろう。

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しかし、日本にとって仮想敵国は、いったいどこの国なのか。
中国も韓国も戦場とされた国であり、日本本土に中国軍や韓国軍が攻撃してきたことは過去1500年間一度も無い。
かって東京を空爆し(死亡: 8万余人)、 広島 (死者、行方不明合わせて12万余人;ウラン235を使用)と長崎( 死者、行方不明合わせて7万余人;プルトニウム239を使用)に二発の原爆を落としたアメリカは仮想敵国ではないのか。
日本はアメリカの潜在的敵性国ではないのか。
それとも日本は、アメリカのアジア監視の前線基地なのか。
アジアに侵攻した日本に、これから新しいアジアのビジョンを語らなければならない時代に、仮想敵国を想定することが妥当なことなのか。
1968年末、フィリッピンのマニラ市を訪れた時、日本人に対する悪感情がただよっていたことが思い出される。

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現在は、これまで功罪をともなって、未来に向けたビジョンを追いつづけてきた欧米文明が、『西欧の没落』から未だに回復できていない大きな文明的転換期にあるのだろう。
従来の政治と軍事の専門家たちによる戦略と謀略のゲームを超えて、政治と軍事の専門家たちをまじえて、善良なる米人、台湾人、中国人たちと日本人とが、ユーラシアの夢を共有し語る時代の実現を切に願う。

(NPJ通信「一水四見・歴史曼荼羅」より転載)

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