[一水四見⑸] アジアの平和の基礎は日中文化交流にあり<村石恵照>

[一水四見⑸] アジアの平和の基礎は日中文化交流にあり<村石恵照>

アジアの平和の基礎は日中文化交流にあり

2018.9.19  村石恵照ページ 1 / 1ズーム 100%

ここ数年間、国際政治、金融、外交、貿易 などの専門家を交えた様々な会合に参加しているが、そこで交わされる議論の底に、歴史の息吹や大衆の汗と涙を感じることができないことを感じてきた。

人類の複雑な歴史現象について、政治を根底で動かしている宗教情念や民族感情などをとりあえず捨象して、観念的に図式化したランドパワー、シーパワー、リムランド論、ツキジデスの罠とかのキーワードを使った戦略理論や地政学や最近の地経学も、頭の整理にはよいだろうが、所詮闘争史観の肯定ではないのか。

ひところはやった文明の衝突論などは対立と支配の構造を是認し、今後の新たな対立の枠組みを提供したような政治論であるが、こんな論文がエリート知識人たちにもてはやされること自体が異常であることにマスコミや彼らを育てている知識人らが麻痺してしまっているのだろう。

が、そこに一貫しているのは知識人的エリート目線の、国家間の対立を当然の前提とした<ユダヤキリスト+アングロサクソン>の支配情念である。

しかし、このような支配情念は、一般のイギリス人やアメリカ人の国民の意識とは異質のものだし、イエスキリストの願いからも離反しているのだろう。

***

一方、経済的、実業的分野では、政治首脳らの行動とは別に国際的な連携や交渉が行われている。

官僚を従えた安倍氏が総理の肩書きをもってトランプ大統領と合う一方、一介のビジネスマンの孫正義氏がトランプ氏と会っている。

反中 ・反韓を煽り立てる政治・経済の評論家たちと政治家たちの一方で、一帯一路の大構想が実践され、日韓海底トンネルの計画が立てられ、国籍を超えた民間人による宇宙旅行(前澤友作氏の宇宙を舞台にしたアート・プロジェクトなど)が計画されている。

従来の政治と政治学は、政府間ではなく、どうしたらそれぞれの国情を考慮しつつ国民間の融和と健全な生活の共栄が実現できるかという基本的な思考を軽視または無視しているのではないか。

この点で、いまでは周知のこととなっているCIAと一体で外国に介入しつづけ、無辜の人々を殺傷して覇権自体が目的化している米国政治は、道義的にもアメリカ国民のための政府である観点からも破綻しているといわねばならない。

***

従来の政治と政治学と政治家には、基本的な意識改革が必要である。
今後の政治は、国民の経済活動と国民間の文化交流に資することを主目的として目指す必要がある。

そして日本の国益を考えるならば、東アジアの極東に位置する日本は、千年有余の歴史的かつ文化的関係をもつ中国と、改めて両国間の歴史と文化の意味を学ぶことが大事である。

日中間で、様々な文化、学術交流の活動があるが、私がささやかな体験をもって関わった活動に渥美財団と鑑真プロジェクトがある。

渥美財団は、日中韓三国の相互理解のために欧米の若者たちをも参加させた様々な活動をしている。

私は今年の5月25日から27日に、渥美国際交流財団主催のグループに参加して飯館村を訪れた。参加者は渥美財団の元・現奨学生(スウェーデン、ネパール、アメリカ、オーストラリア、中国、台湾各1名)と日本人ボランティア3名、それに飛び入りの私である。

渥美国際財団のグループは、地元で活動している「ふくしま再生の会」(理事長・田尾陽一;副理事長・溝口勝・東京大学農学生命科学研究科教授)の活動に合流して現地の汚染状況を体験し、困難な中にも自立して村を再生してゆこうとしている住民たちと田植えなどの作業を体験した。

そして田尾氏らを中心にした再生の会の人々の課題解決思考にもとづく行動力と、明るく楽しくやろうという姿勢に感銘を受けた。

鑑真プロジェクト「 鑑真和上縁の地を訪ねて~上海・揚州」 は、范云涛・亜細亜大学教授が主催している活動で大阪港から新鑑真号に乗船して上海に上陸し鑑真ゆかりの地で中国の学生たちと交流をする内容である。

私は二年前にその活動を知って唐招提寺でのオリエンテーションに参加し、西山長老の講話を拝聴し、改めて鑑真和上が日本仏教と文化に与えた多大な影響に認識を新たにした。

そして今年のプロジェクト(9月10日~17日;7泊8日)は例年どうり唐招提寺での研修をおえてから大阪のユースホステルで鑑真和上の講義をし学生たちと一泊。私は翌日午前、大阪港から新鑑真号に乗船した9名の学生たちを一人で見送った。

大阪から上海まで海路でゆくのは、もちろん鑑真和上の往事の困難な渡航をいくらかでも体験する意味がある。
私事にわたるが、出帆する船をただ一人で見送ったのは1968年11月に横浜港からインドへと旅立ったことを多少の感傷をもって思いだしたからである。

***

日中間の文化交流は、日米間の文化交流とはまったく歴史的性格を異にする。

先に述べたようにアメリカ国民の希望と離反したアメリカ政府の背後に蠢く政治情念は、千年有余の日中の歴史的関係には、いわく言い難い劣等感と反発感をもっているだろうと推測される。
この意味を大方の反中・嫌中派の人々は、意図的にせよ否にせよ、理解していない。

そして、習近平国家主席で顕著に台頭してきた中国の一帯一路構想は、西欧の支配情念にとって、世界的に拡大して植民地を領土化してきたパックス・ロマーナへの挑戦として映っているのだろう。

西欧がアジアとアフリカを植民地化した過程で得た巧みな情報操作に比べれば中国は無防備極まりない状況であり、しかも欧米の支配情念にみられる二重規範の人権とか信教の自由とかの建前上の主張をもっていない。

さらに現在のところ、一帯一路で中国が関係の諸外国で提供しているものは経済的、実務的なものに限定されて、中国以外の人々や若者たちがあこがれる文化的価値観を提供していない。

布教と現地の産物の収奪が一体となった西欧植民地政策であるが、自国の文化を押し付けないことが中国の方針であることは大いに評価されることであるとしても、このこと自体を西欧が評価しないことが西欧の問題であると同時に中国の弱点でもある。

一帯一路に関わる各地域の文化と習慣と中国の伝統的文化価値とをいかに折り合いをつけるのか、このことをわかり易い表現で世界に提示することが中国の今後の課題であろう。

鑑真和上を通した日中文化交流は一つの例に過ぎないが、今後中国は儒教に加えて老荘の思想と、柔軟思考と寛容の精神の仏教の価値を改めて見直してほしいと願うものである。

pdf ファイルは こちら

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る